· 

人の助けをかりるの恥ずかしい?

Photo by Arno Smit on Unsplash

傷の話

HELP ME!

私の仕事はエネルギヒーリングで困っている方をサポートするのだけれど

 

時々相談に来るまでに相当時間をかけていらっしゃる方がおおい。

 

もちろん「エネルギーヒーリング」という特殊性もあると思うが

 

多くの方は「こんなことで相談するなんて」という方と

 

「どうせ変えることなんてできないし、いまさらどうしようもない」

 

という気持ちのせめぎあいでなかなかヘルプを出せないという方もいらっしゃる。

 

 

 

私の場合はどうかというと、おとといも実は「Help me!」と叫んで(笑)

 

友人たちに相談に乗ってもらったばかり。

 

1人で考えていてもうまく出口が見えないときは、声をかけて助けてもらっています。

 

解決できるのか

ひとに相談するのは、1つには自分では見えない事実を教えてもらえるから。

 

自分が見えてない部分はたくさんあるので。

 

話をしながら「えっ、そういうこと?」というように新しい発見もある。

 

では、解決できるのか?

 

というと、それはすこしニュアンスが違ってくる。

 

例えば私がAということに困っていたとする。

 

そのことを相談すると友人はAだけどBかもね? とか

 

別の友人はいやCじゃない?と話してくれる。

 

 

そういう話をしながら自分の中で「いやそれは違うかな」

 

「あれ、そうかもな」「半分はいえてる」とかAというこについて

 

私自身が検討することができる。

 

1人ではなかなかできない作業だ。

 

けれど、解決したということではない。

 

なぜなら、私自身が検討してAという出来事について実際に

 

行動を起こしていかなければならないから。

 

友人たちは私の代わりに問題を解決してくれるわけではない。

 

こう書くと当たり前。

 

 

相手がヒーラーだと

相手がヒーラーだとどうだろうか?

 

なぜか急に解決してもらえると思ってしまう人が多い(笑)。

 

ヒーラーは話を聞き、自分が差し出せる

 

解決に導くのに役に立つヒーリングを提案する。

 

ヒーラーに相談してヒーリングしてもらうことは

 

問題を解決するわけではない。

 

だけどすごく大切な一歩

けれどヒーラー(でなくても心理療法家や病院でも)に行くことは

 

大きな一歩。

 

自分の問題に向き合おうと一歩近づいているのだから。

 

とても勇気のあることだ。

 

自分では「人から見たらたいしたことないこと」だと思って

 

気が引けても、相談してみたらいい。

 

傷があるとき

傷がない人なんていないと思うけれど。

 

傷がある。その時

 

その傷は傷跡として残るかもしれない。

 

けれどその傷は癒される。

 

血がどーっと流れているかもしれないが

 

やがて血も止まりかさぶたができる。

 

時々かさぶたがとれてまた血が少し出るかもしれない。

 

しかしまた血は止まりかさぶたになる。

 

 

気が付くとかさぶたの下の皮膚が再生していて

 

そのかさぶたが自然にとれている。

 

そして膝小僧に傷跡のある自分が自分となる。

 

まちがいない、傷跡のある自分が自分だ。

 

 

もし今、その傷から血がどーっと流れている最中なら、あなたは今助けを必要としている。

 

もし今、自分の傷を見ながら毎日毎日その傷ができたことを嘆いて前を見ることができないのであれば

あなたは今助けを必要としている。

 

もし今、その傷が深すぎて歩くことができない状態だったらそんなあなたも助けが必要だ。

 

 

助けを求めることは恥ずかしいことでも情けないことでも何でもない。

 

自分の傷を癒すことは自分の人生を生きていくうえでとても大切なことだ。

 

 


 

友だち追加

近所の人参畑に

ニンジンの花のつぼみ。


Healing-horus.net  Keiko Osako

090-3699-0824

オンラインでのセッションも受付中。

Zoomにて。

メモ: * は入力必須項目です